文部科学省「特異な才能のある児童生徒の指導・支援」有識者会議

文部科学省の「才能のある子の指導・支援」有識者会議の進捗状況

【特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議】(2021年6月~2022年9月)
*ここでの情報は、文科省ウェブサイトに公開済みの会議資料と議事録、および当日報道関係者・一般傍聴可能な会議での発言のみに基づく。
*私のコメントは公開情報に対する私見であり、会議全体の合意や報告書に反映されない可能性もある。
■ 第3回会議(2021.09.13)(会議資料)
①フィンランドの才能教育からの示唆

前半では、諸外国の動向について、フィンランドの才能教育を中心に、鈴庄美苗さん(三菱UFJ R&C政策研究事業本部副主任研究員)が発表された。 文科省から2018年度に委託された「社会の持続的な発展を牽引する力の育成に関する調査研究」の報告書(2019)に基づいて、10カ国の才能教育の制度状況を対比整理して、 各国の才能教育を「国家中心・取出型」(韓国・シンガポール・中国等)や「学習者中心・インクルーシブ型」(フィンランド・オーストリア・デンマーク等)など2次元座標に位置づけた。 フィンランドのインクルーシブ教育の現地調査から、日本の才能教育の検討課題を提示された。

②第1、2回会議での主な意見のまとめ

会議資料として「有識者会議(第1、2回)における主な意見等」の文書が提示された。 教育課程企画室によって、これまでの論点、意見が要領良くまとめられている。議論を振り返るためにご覧頂きたい。 これについて各委員から有意義な意見が出たが、詳細は後日文科省サイト掲載の議事録を参照されたい。

▼コメント
①フィンランドの才能教育からの示唆
[A]インクルーシブ教育の在り方   フィンランドの「インクルーシブ型・学習者中心」と同じ位置に日本の才能教育も位置づけるのが適当であることが示唆された。 日本の才能教育は、困っている才能児(2E、GDF等)を救うことを喫緊の課題として、通常学級の個別最適な学び、個性化教育をベースとすべきだという共通認識を裏打ちする意味がある。

ただし、フィンラドのインクルーシブ教育の具体的方法として、発表では省略されたが、3段階システムで、3割程の児童生徒への補習等の「一般支援」から、支援ニーズの大きい児童生徒(才能児・発達障害児を含む)を絞って、特別教員が「強化支援」さらに「特別支援」を行う。 少人数学級で個別学習が行われ、人材が豊富なために可能な支援なので、日本ではそのままの方法を応用できない。 しかし、同じ立ち位置を据えれば、学級内での個性化教育で、フィンランド以上の学力定着を図れるだろう。

[B]日本の才能教育の論点   鈴庄さんの発表では、本有識者会議等、日本の今後の才能教育について検討すべき論点例が提示された。 その中で、教師が多忙な中、「○○教育」の追加はできるかという問題が挙げられた。 これに対しては、才能教育という新たな制度を設けて教師に負荷を加えるのではなく、困っている才能児(2E、GDF)も含めて、「誰一人取り残さない」個別最適な学びをより徹底させる方向を目指せるだろう。 また特別支援教育の中身を充実させて、2E児のニーズに応じるという喫緊の課題に対処できる。

また論点例に「一元的なラベルは必要・可能か」という問題が挙げられた。 フィンランドでは才能児の過剰なラベル付けや特別視、固定的な隔離は嫌う傾向だと報告された。 日本でも、数学等特定領域にせよ「才能児」を選抜してプログラムを実施する際には、選抜ミスや境界線の根拠など詰めるべき問題は多い。 一方、才能を「個性」と言い換えて才能・困難特性を識別しないまま開始するなら、2E児への適切な対応が疎かにもなる。 そこで、特定の個人を「才能児」とラベル付けるのではなく、どんな代替の学習内容・方法なら、強い興味、優れた学習への取り組み・成果を示すのかといった、レンズーリの言う「才能行動」を見出す方向が考えられる。 それが、本有識者会議の諮問テーマの「特定分野に特異な才能」の識別、指導・支援の在り方の理念となり得るだろう。 (第1回会議発表でも述べたが、才能は本来「領域固有」なため、「特異な」は「分野に特有の」の意味なら冗長で不要。 中教審答申で「ごく少数者の突出した異能」の意味を潜ませたとしても、有識者会議では「学校における指導・支援」として、トップレベルの人材育成まで繋げる基盤の部分の検討を最重要課題とすることは設置の趣旨に適っている。)

②第1、2回会議での主な意見のまとめ
[A]狭義と広義の才能教育   文書の「狭義と広義の才能」のまとめの内容自体は正しいが、「狭義と広義の才能教育」の区別について、第1回での私の発表を理解していないと誤解される恐れもある。 すなわち、学習活動の領域が狭いか広いか、対象者が少人数か全員かの違いではない。 人数が限られた活動でも、何らかの才能の基準で選抜すれば「狭義の才能教育」であり、先着順・抽選なら「広義の才能教育」となる。 提供するプログラムで、より優れた人材育成を志向する、あるいは特定の才能特性に合う内容・方法を提供したい場合、狭義の才能教育が相応しいことを意識すべきである。
[B]誰のための才能教育なのか   文書の「教育課程の考え方」の中に次の指摘が挙げられた: 「既存の教育課程の特例制度(SSH、SGH など)は学校が主な単位になっており、必ずしも個人や学級が単位になっていない。 全体のプログラムではなく、個々の生徒に着目する視点が重要。」今回、鈴庄さんが挙げられたエピソードが印象的だった。 SGHの生徒が、自分が興味のないコンテストへの参加を強要されて順位を付けられ、教育での過度な競争のあり方に疑問を抱いたというものである。 鈴庄さんの発表でも、今後の論点例として、「誰のための才能教育なのか(誰が求め、誰が困っているか)」という点が挙げられ、行政の観点からではなく、困っている子どものニーズの観点から見るべきことが提唱された。 そして一人の子どもに「不登校」として表出したケースの奥にどんな問題が複合して隠されているのか探るべきことを示唆された。 少数の研究開発指定校でのみ可能な実践を開発して、行政・経済界の一部の思惑に沿うのか、全ての学級で多忙な教員が引き受けられるような指導・学習の工夫など、具体的な個性化教育の方策から踏み出して、児童生徒や保護者等の痛切な訴えに応えるのか、有識者会議は強い態度表明を打ち出すべきだろう。