文部科学省「特異な才能のある児童生徒の指導・支援」有識者会議

文部科学省の「才能のある子の指導・支援」有識者会議の進捗状況

【特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議】(2021年6月~2022年9月)
*「〈才能のある子の指導・支援〉に関する有識者会議」と個人的に略称する。「才能のある子」は、個別プログラムで識別された才能を基準に選抜・認定される狭義の「才能児」とは区別され、また「突出した才能」あるいは「困難を伴う才能児」に限定されない、広義の“gifted”に相当する。有識者会議でも、「特異な才能のある児童生徒」は、広い意味での才能のある子を指すことが「審議のまとめ(素案)」で確認された。
*ここでの情報は、文科省ウェブサイトに公開済みの会議資料と議事録、および当日報道関係者・一般傍聴可能な会議での発言のみに基づく。
*私のコメントは公開情報に対する私見であり、会議全体の合意や報告書に反映されない可能性もある。
■ 第12回会議(2022.07.25)(会議資料)

今回はまず、「審議のまとめ(素案)」が資料として示された。前回の会議に示された段階での案に、その後の委員の意見を加えて、全体の素案としてまとめたものである。
 続いて、以下の各校長会を代表する先生方からのヒアリングが行われた。
▽全国連合小学校長会(荒川元邦先生) ▽全日本中学校長会(齊藤正富先生) ▽全国高等学校長協会(杉本悦郎先生) ▽全国特別支援学校長会(市川裕二先生) ▽全国特別支援学級・通級指導教室設置学校長協会(玉野麻衣先生)
 各先生方は、特異な才能のある児童生徒の指導・支援として、「審議のまとめ(素案)」の今後取り組むべき施策について、各種の学校での実態や課題等の意見を提示された。

▼コメント

「審議のまとめ(素案)」の概要説明に続いて、私は「『特異な才能』」の考え方・用い方」と題して補足説明をした(松村委員当日配布資料参照)。 教師や保護者、報道関係者に疑問・誤解が生じ得る、「特異な才能」の重要な論点について、「審議のまとめ」の記述にそった確認を行ったものである。 2分間で短く要点のみを述べたので、以下に、再録して説明を補う。

①「特異な才能」は広い意味の才能を表す

有識者会議では結局、「特定分野に特異な才能のある児童生徒」ではなく、「特異な才能のある児童生徒」という表現を用いることになった(前回の会議コメント参照)。「特異な才能(のある児童生徒)」は、“gifted”に対応した広い意味の才能を指すことになる。才能が表れる領域・特性・程度は限定されず、「特異な」はイコール「突出した」ではなく、特に理数分野に限定されるものでもない。
 広い意味の“gifted”の訳語として「ギフテッド」は有識者会議では使用してこなかったし、今後の学校実践でも用いるべきではない。突出した才能や困難を併せもつ等、限定された用い方が既に広まって色が付いているため、語る人、受け止める人によって混乱するためだ。「ギフテッド」を語る人は、自らの含意とそれが文脈内で明確に伝わるかを意識する必要がある。
 「特異な才能」は、教育行政の用語として、新しい理念の取組を象徴するキーワードとなり得る。「才能」は、概念として広い意味を表せる最適の語だが、一般的、日常的過ぎて、文科省が取り組む実践に注意を引くにはインパクトが弱い。
 ただし、日常的な慣用や学術用語(教育学・心理学)では当然、才能の表現に制約は受けない。文脈によって、「才能」(giftedness/talent)や、「才能のある子(ども)」(広い意味)、「才能児」(才能が識別されたプログラム対象児)等、自由な表現が認められる。「特異な才能のある児童生徒」も、改まった文書でなければ、「才能のある児童」や「才能のある子ども」等、省略形で語られるようになるだろう(「特異な子」は意味が変容して不適切)。

②「特異な才能」は個別プログラム・施策で見いだされる

「審議のまとめ」は、「特異な才能」を一義的に特定の基準・数値で定義しないことを表明している。では誰が何を基準に「特異な才能を見いだす」のか不明で困るという声が上がるだろう。しかし、才能特性の識別(ここで言う「把握」)は、個別プログラム・施策の目的・内容に応じて、実施主体が個別に行うのだということが周知されるべきだ。
 すると、具体的な取組ごとに、扱う才能や対象者が異なるが故に、その取組ではどんな意味に特化しているのか、どんな領域・特性・程度の才能行動・特性を想定しているのかを明示することが求められる。例えば、学校外プログラムで突出した理科の探求スキル、不登校や学習困難の子どもの算数・数学や国語の学力、通常学級で全ての子どもごとに興味をもてる学習テーマを探る、発達障害の子どもの得意な学習内容・方法を活かす、などである。この点を明確に意識することによって、 関係者(本人含めて)の共通認識を得ることができる。

③ 「特異な才能のある児童生徒」を選り分けるのではない

特定の基準で「特異な才能」を定義しないことから、「誰が、特異な才能のある児童生徒」なのかは名指ししないことになる。アメリカの才能教育では最近、選抜した子を“gifted”と呼ばない動きがある。才能児の選抜は、才能の識別手段含めて、文化・経済的多様性のある(マイノリティ・貧困家庭の)子どもに不公正なためである。地域の教育委員会に才能教育の部署が存続しても、誰がどんな学習場面でどんな才能行動を示すのか、その個別のニーズに応じてどんなサービス(指導・支援)が必要かを見分ける方向に今後進むだろう。インクルーシブ教育の流れに沿うが、才能児の選抜・特別プログラムを求める白人層との分断、裕福な家庭の私学への流出も生じ得る。
 「特異な才能のある児童生徒」とラベル付けすると、同級生等からのねたみ・いじめ・仲間はずれ等の差別が生じ得る。もし「ギフテッド」等、意味が不透明(一見ぼやけた)呼称を用いても同様である。ラベル付けによる集団の分断には十分用心すべきだ。
 「児童生徒に直接関わる教師の理解が一層進むことが期待される」ことから、戸惑いや誤解も生じるだろうが、過重労働の現状の中、教師が「特異な才能のある児童生徒」を選別する作業を担う責務は負わない。才能のある子を特定するための新たな一律のテストやチェックリストは実施しない。学校外プログラム対象者の推薦の機会にも、条件に合う子を既存データに基づいて選ぶことになる。ただし、才能のある子の特性を理解して、教室で才能・困難の表れに気づいたり、共感したり、学び方の小さな工夫をしたりすることは望ましい。これは、困っている才能のある子の保護者から切望されている対応として、可能な喫緊の課題である。