2E教育を巡る論点

2E教育の制度

「2Eの子」の才能を伸ばして活かし、障碍・困難を補うための指導・支援を「2E(二重の特別支援)教育」と呼ぶ。 2E教育は、アメリカの学校で1980年代に始まり、全米各地で実践が広がってきた。 2E教育が実施される背景には、障碍に応じる「特別(支援)教育」と並んで「才能教育」が制度化されている事情がある。 才能教育では、国や州の教育法に基づいて、多彩な才能を見出して伸ばすために、多様な指導・学習方法が用いられ、教育措置が講じられる[拙著書参照]
 2Eの子は個人の特性が多様なので、適切な対応も多様になる。 例えば障碍のない子向けの才能プログラムへの参加だけで十分な場合もあれば、通常学級の内外で指導・学習方法の工夫や合理的配慮が必要な場合もある。 また2Eの子だけの通級指導教室などが適合する場合もある。 アメリカの2E教育では、これらの多様な学びの場を十分に選択肢として提供している地域は実は多くはない。 しかし公立学校や私立学校で2Eの子を対象に熱心に指導・支援している所もある。 また、発達障害対象の小規模の私立学校が全国に点在して、大学進学を支援する。在籍する2Eの高校生はほとんど大学進学する。 私学は学費が高額で経済的に不公正だが、在校生には適合した環境になるという現実もある。

支援すべき2Eの子の把握

2Eの子の才能と障碍の両方の特性が表面化していれば、才能教育と特別支援教育の両方の対象者になり得る。 しかし、地方の教育行政のどちらかの部署で対象者に選定されると、もう一方では無視されるという場合が多い(二重の支援のためには二重の予算がかかる)。 そのため、2Eに特化したプログラムを強力に推進している地域でのみ(例えばメリーランド州モンゴメリー郡)、多様な学びの場でニーズに十分に対応できる。
 また、2Eの子の中には、才能と障碍のどちらかまたは両方が隠れている場合がある。 この点が、日本では特別支援教育で2Eの子をどうやって把握すべきかという議論が進まないという問題を複雑にしている。 2Eの子の才能と困難をできるだけ見出すためには、複数の検査を組み合わせた包括的評価が手掛かりになる。 教室では教師が簡易な質問紙やチェックリストも活用して、気になる子どもの活動を観察することも、2Eの特性に気づく手始めになる。

日本で2Eの子も主体的に学ぶ学びの場

2E教育の指導・学習の方法として、一般に「代替の」(alternative)場や方法、工夫した教材が有効だとされる。 指導では、例えば数学の高度な学習に取り組む際に、時間をゆっくりかけて読み書きの障碍への合理的配慮を行うなど、才能と障害を同時に考慮した対応が必要になる。 才能による困難も含めて「困っている才能のある子」には、得意で好きな活動への長時間の集中と、完璧へのこだわりを尊重して、十分な時間をかけられる環境を整えるといった支援の方針が適合する。
 日本でも私学や学習塾等で、このような2E教育の理念に基づいた指導の工夫はある程度可能だろう。 しかし私立の少人数教育では学費が高額になり、アクセスが経済的に不公正などの問題が生じる。 公立学校が拠点となって、才能のある子や2Eの子への公正で適切な学習・社会情緒的支援が行われるような体制整備が望まれる。
 アメリカで才能のある子や2Eの子の指導・支援は、個別のニーズに応じて学級・学校外の特別な場と併せて、学級でもインクルーシブに行われてきた。 長年広く用いられてきた授業の実践モデルに、レンズーリが提唱した「全校拡充モデル」(SEM:Schoolwide Enrichment Model)がある。 才能教育に起源をもちながら、通常学級を拠点に、個人の特性に内容・方法が適合した指導・学習が行われる。 才能のある子にも、学習内容・方法の選択肢を広げ難度を上げることで、ニーズに適度に応じて挑戦意欲を高められる。 このSEMの理念は、日本の個別最適・協働的な学びと理念・方法を多く共有して、示唆するところが大きい。
 わが国でもその理念は、今後の「支援の推進事業」に活かされる。 「審議のまとめ」では、才能のある子の指導・支援は、突出した才能に特化した新たな教育プログラムを提案するのではなくて、「多様性を認め合う個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実の一環として」(「審議のまとめ」副題)行われるべきだと提言された。 選別した才能のある子に特別な指導の場所・時間を提供することを目指すのではなく、通常学級を拠点にした指導・学習により、才能特性を考慮して、学習の内容・方法を変化させ、才能のある子も障碍のある子も包摂して、全ての子どもの個別最適な学びを推進すべきものである。
 個別最適・協働的な学びの理念を活かす「子どもの主体性に配慮した学び」の授業は、例えば天童市立天童中部小学校で取り組まれている[有識者会議第7回・大谷前校長先生の発表を参照]。 このような教室内で適切な環境があれば、全ての子どもは主体的に自分の才能特性に合う学習の内容・方法を自ら見出す。 インクルーシブな取組では、予め才能特性を識別する必要はない。

多様な適合した学びの場を選択肢として保障

それでも、通常学級のインクルーシブな授業だけでは、2Eの多様な才能と障碍の特性に対応しきれない場合もある。 通常学級と学校内外の学びの場との幅広い柔軟な連携を通じた支援によって、全ての子どもの個に応じる指導・学習を更に進められる。
 「支援の推進事業」の実証研究では、現行の仕組みを駆使して、子どもたちの才能を伸ばせるような多様な学びの場の保障・整備が意図されている。 そこでは「特異な才能のある子」や「2Eの子」をラベル付けて選抜、特別扱いするのではなく、インクルーシブな指導・支援が、通常学級を拠点としながらも、学校内外の多様な学び場と連携する。 「困っている才能のある子」が居場所と感じて適合するような環境を選択肢として提供できるような実践研究が期待される。

(©松村暢隆,2015, 2023)

『2E教育の理解と実践』(松村編,金子書房)まえがき より抜粋

一人の子どもに才能と発達障害が同居することは、以前は常識ではなく、今でも学校で の特別支援教育での実践は、事実上才能は無視して障害への対応で精一杯になる。2E児を もつ親が子どもの才能に気づき、例えば「もっと難しい内容を学習できたら子どもは学校 が好きになるのに」と思っても、学校では十分に対応できないことも多い。教師も、2E児 に適切に応じる「2E教育」とはどのようなものか、どうすればいいのかがよく分からない 。

そのため、2Eや2E教育という言葉はようやく注目され始めたものの、その理念・方法に ついて共通認識がなく、認識がずれてしまう。日本では2E教育の基盤となる「才能教育」 が存在しないため、実際の才能教育の様子はよく知られず、才能や才能児に関する共通理 解がないことも混乱に輪をかけている。2Eの子どもは、とくに親たちの間で最近しばしば 「ギフテッド」と呼ばれることがある。 [中略] そのために障害面への適切な対応の 機会を逃してしまっては残念である。逆に、発達障害と診断されたり「発達障害っぽい」 と片づけられるが、本当は才能に伴って発達障害とは別の問題が表われているという場合 も少数だがあり得る。いずれの場合も、障害を診断する者は2E児や才能児の特性について 理解しておくべきである。しかし日本ではほとんど全く、2E教育の先進国アメリカでさえ 多くの場合、それらは考慮されない。2E児や才能児の障害や困難の面だけが注目され、才 能を正当に評価して伸ばしてくれる教育制度が存在しないのは、そういう子どもたちにと って不幸である。

★本書の第1章・第2章(松村の分担執筆)の詳述と引用文献は、こちらをご覧下さい。

★2E教育に関して参考になる私の過去の論文は、こちら[1] [2] [3]をご覧下さい